たきた敏幸HP

 

6.環境について

   基本的には哲学者で京都大学教授の加藤尚武氏が提唱した環境倫理学の立場を支持致します。 ポイントは以下の三点です。

一、自然の生存権の問題 - 人間だけでなく、生物の種、生態系、景観などにも生存の権利がある。人間は勝手にそれを否定できない。人間には他の生物よりも生存の優先権があるという人間優先主義の否定。この問題は、仏教や神道など東洋文化の見直しと関連する。すなわちあらゆる生命に尊厳を認めるという思想は、人間の生命だけに尊厳を認めるというキリスト教的思想とは異なる。また権利という概念を人間以外にも拡大するということは、ギリシャ哲学以来の西洋思想の文脈では当然理解できない。近代思想の次元を一段掘り下げた議論が必要。

二、世代間倫理の問題 - 「現在世代は、未来世代の生存に対して責任がある。」 「環境を破壊し、資源を枯渇させるという行為は、現在世代が加害者になって未来世代が被害者になるという構造をもっている。」

三、地球全体主義 - 「地球の生態系は開いた宇宙ではなくて閉じた世界である。この閉じた世界では、利用可能な物質とエネルギ-の総量は有限である。」 (加藤尚武「環境倫理学のすすめ」1991丸善より)

   いずれにしても環境問題を考える際、私は「環境に対し負荷を加え生きている」という自らの加害性の認識から出発しなければならないと思います。また議員として経済振興や都市インフラ整備による市民サ-ビスの向上を語る時と環境問題を考える時と自分の中で矛盾を感じることも事実です。例えば、道路網の整備や高速鉄道の開発といった市民にとっての利便性の向上は環境破壊をともなわないはずがないからです。われわれにとっての快適性の増進は、上記の環境倫理の三つの問題と大きくかかわります。
 最近よく印西で「里山保全」という言葉を耳にします。がしかし、私は脳天気にこの言葉を使うことに相当の違和感があります。みなさんよく考えてください。千葉ニュ-タウン開発により、2000ヘクタ-ルにも及ぶ里山などの自然破壊が行われた大地の上で、われわれは生きているのです。市民一人一人が心に痛覚を抱いた言葉遣いをしなければ、環境問題は単なる綺麗事に終わってしまうのではないでしょうか。1の保守主義とも関連しますが、近代が追求しつずける「豊かさ」に対しての距離の置き方が問われています。私は環境問題を考えるにあたり、現代社会を特徴付ける高度大衆消費社会に対し批判の眼差しを向けたいと思います。
 全世界的に見るならば、中国やインドの経済成長、アジア・アフリカの人口爆発、食糧危機、地球温暖化といった状況がわたしたちの前にあります。環境倫理学の立場で物事を考え判断する時代がいよいよ始まったと私は考えます。
 また私自身、宇沢弘文教授の唱える「公共経済学」から大きな影響を受けたこともつけくわえさせていただきます。

●考え方の参考となった文献
宇沢弘文「近代経済学の再検討」「社会的共通資本」「公共経済学を求めて」

 

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